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そもそも、向いてない。

明日は明日の風を吹かせるブログ。

そっと高校時代を振り返ってみる。

高校生のとき、クラスの中で浮いていた。




無理して私自身もクラスメイトと仲良くしようと努めていなかった部分もあるが、
まぁ、四六時中仲良しこよしの子はいないものの、誰かと話しつつ、
それなりに楽しく、ときには苦しく過ごしていたと思う。


16歳、高1の冬のこと。
放課後さっさと帰ろうと思って、自転車置場に向かっていたものの、
机の中の忘れものに気づき、教室に取りに帰った。
ある程度時間のたった教室には数名しかいなかった。
たいして話もしたことない、彼ら自身はクラス内カーストの上位にいると思っている方々(笑)が数名。
ちらっと見ながら、教室の後ろ出入り口すぐの自身の机の中から忘れ物をとった。
その時気づいた。机の中に明らかにゴミの使い捨てカイロがあった。


ちょうど反対側の窓側の席で彼らはたむろしていた。
なんとなく、視線でわかった。話し声の感じでわかった。
犯人はこいつらのうちの誰かだ、と。


その瞬間、頭に血がのぼったことは覚えている。
でも、なんだかそそくさとと捨てに行くとか気づかないフリして帰るとか、
そういうことをするのはなんだか悔しかった。


だから、私なりに抵抗してやろうと思った。


なんやかんやで10個ぐらい入っていたカイロ。
それら全てをまとめて持って、教室前の出入り口付近にあるゴミ箱に歩いていった。
思いっきり、大きく振りかぶって、叩きつけるように捨てた。全部。


結構いい音が鳴った。掃除後すぐで、ゴミ袋に何も入っていなかったからだろうか。
小~中学時代バレー部でスパイクを打っていて、肩にはそれなりに自信があった。
毎日自転車通学でそれなりに体力にも自信があった。
やるじゃん私、と思った。


彼らもおそらく気づいただろう。音は教室中に結構響いた。
誰も何も言ってこなかった。笑いもしなかった。
めちゃくちゃすっきりした。
だから思わず伸びをして、「すっきりした」と声をだして言った。
彼らには聞こえていただろうか。それは分からなかった。
普通に荷物をもって帰ったが、特に何も言って来なかった。


まぁその後も何度か自転車の中にゴミがはいっていたりとか、
いろいろされた記憶はあるが、あまりよく覚えていない。
彼らなのか、誰なのか、詮索する必要性も感じられなくて特に何もしていない。
たいして気にもとめなかった。


でもそれから明らかに変わったことがある。私自身の気持ちの変化だ。
何かに負けたくないと思った。
低レベルな彼らにも、自身にも。
どこか彼らを見下しつつ、何か他の部分で勝ち続けることで、より一層頑張ろうと思った。


その後も低レベルな誰かの嫌がらせを受けている中でも、
マイペースに私は学校の中で地位を高めていった。
生徒会の書記/副会長になったり、学校代表で県の事業で海外研修に行ったりとか、全国の高校生が集まる会議に行ったりとか。
なんやかんやでそれなりに有名人になった。
優等生的な意味で先生にも顔がきいた。


気がついたらクラス外の友達も増えていた。
会話は恐ろしく円滑に進んだ。楽しかった。
定期テストとは関係ない、進学者希望者向けの普通の学力テストでも特に勉強せずに学校トップになることができた。流石に驚いた。

自転車で1時間ぐらいかかる偏差値40ぐらいの職業高校に行ったのだが、クラス内ではびっくりするぐらい世間話ができなかった。社会人ならまた別だが、学生時代は特に、IQ/偏差値が大きく違う、家庭環境が違うと会話が成立しないのは本当だと思う。話していて全くおもしろくなかった。

元々成績はよかったので、大きな問題を起こさなければ好きな就職先も進学先も容易に推薦がとれるぐらいになった。意外とよりどりみどりで驚いた。

奨学金を借りてどうにかしなければならない、ということは頭で理解をしていたが家の外に出たいと思った。嫌な思い出しかないのに、無理をして地元にとどまる必要性を感じなくなっていた。
手っ取り早く就職して、家を出るのもありかなとも考えたが、そのうち県外の大学へ進学したいと思い始めた。
結局県外の国立大学の推薦入試を受け、無事合格した。


受験日周辺1ヶ月は学祭もあり体育祭もあり、それらの実行委員になっていた。
面接練習/口頭試問の練習をしつつ、各行事の準備があったりして死ぬほど忙しかった。
ただ、「お前でここの進学先から落ちたら、うちはそれ以外も多分全滅だ」と言われていた。


大学進学<<<<専門学校進学<<就職という比率の進路状況だったので、それなりにプレッシャーを与えられていた。進学実績的な意味で。今思い返すと1年のころから将来は大学進学かなーと担任にプレッシャーかけられていた。3者面談でも。


ど緊張して、面接の順番待ちをしていた廊下で、手汗と体の震えが止まらなかったのを覚えている。付添の先生にすごく心配されてしまったのもいい思い出だ。倍率は確か3倍近くあった。プレッシャーだった。
だからこそ、合格発表を職員室で聞いたときは、泣きそうになった。
明確に、自身の努力を認められた気がしたからだ。
彼らがテスト前に慌てて勉強している中で、コツコツと勉強していて心底よかった、と思った。


進学先が決まってからは自由になった。
無事に卒業さえすればいいので、授業もおとなしくしていれば良くなった。
彼らは就職が決まらないだ何だとか、と言っていた記憶がある。大学に落ちた、という話も聞いた。
内心ざまぁみろ、と思った。
彼らなりに努力をしていたのかもしれないが、私は知らない。
はじめての一人暮らしに思いを巡らしつつ、高校生活を過ごした。


その後の彼らが今に至るまでどうだったか知らない。興味が湧かないからだ。
でも確実にどこかで思っていた。「絶対お前らより幸せになってやるからな」と。
顔も曖昧にしか覚えていないが、高校卒業後数年たっているが頭の片隅に置いて、どこか過ごしてきた。


「幸せの尺度」なんて人それぞれだし、こんな私のことをかわいそうだと思うひともいるだろう。
でも、私は確実に言える。今彼らよりも確実に豊かな生活をおくれていると。
豊か=どういう意味と捉えるか、という点については人それぞれ様々な考え方があると思うが、留年もせずに無事大学を卒業して、企業に就職してこうして働いている。


たまにふとこうして過去を思い出す。
整理して感情と経緯を書き出すと、大したことはないな、と思う。
でも、あの日あの時、何か大きく変わったのは確かだ。
だから、彼らのことは一生忘れないと思う。


16歳の私に言いたい。
きついことも多いと思う。
でも、大学生活はすごく楽しいし、必ず幸せになれるから。だから、頑張って。